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左之助の鈍った五感の中で、まず最も先に機能したのが嗅覚だった。
 
慣れきった煙の香りが空を舞い、男の鼻元をくすぐる。少し、心地よかった。
 
次に鉛のように重い頭に手をやり、寝かされている場所からのっそりと起き上がり、目をあける。
 
視界に広がるのは、無秩序に積み上げられた書類や整備されていない本の山でいっぱいの部屋だった。
そして、書類を手に渋面をさげて事務処理をこなす斎藤の姿が其処にあった。
 

「さ、いと…?」
「起きたのなら早々と帰れ、この阿呆」
 
何故自分がこの男と同じ部屋にいるのか。冴えない頭で考えても、思い出せようがない。思い切ってこの不良警官に問うてみると、次の通りであった。
舎弟と思われる輩と丑三つ時まで酒に溺れていた。どうやら徳利を七、八本は開けており、臓腑が腐るのではないかという程に呑んでいたらしい。道端で酔い潰れていたところをたまたま巡廻していた警察官がその身柄を引き取った…というものであった。
 

「此所は託児所じゃねぇんだ」
 
お前の面倒なんざみてる暇はない、などと言い捨てた。もっともである。なるほど忙しいこの年度末の警視庁に、このようなチンピラの呑兵衛が居座っていい理由など何処を探してもなかった。
 
「くそ、目覚めが悪ィな」
「お互い様だ」
 
両者口八丁なところは、存外似ている。本人達がこれに気付いているかどうかはまた別の話である。
 
 
やっと落ち着いたのか、左之助はひととおり周囲をゆっくりと見回したあと、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。煙草の香りに、噎せ返りそうになった。そして、自分のことを気にも留めずに黙々と事務に打ちこむこの男に、ふと言葉をかけた。
 
「忙しそうだな」
いらえはない。左之助は眉間に皺を寄せ、頬をふくらませた。
 

「仕事ばっかで家庭ほったらかしてたら、いつか嫁さんに後ろから刺されるぜ」
今度は皮肉をたっぷり込めて言葉を投げてやった。しかし、切り返しは意外なものであった。
 
「…そうだな」
斎藤は、自嘲を含めながらそう言った。
 
「俺を恨んでいる奴など、斬って捨てるほどいるさ」
いつになく、優しい声だった。
 
最初は唖然としていたが、何故だかこの時左之助は、次第にじりじりと胸が焦げる音がするくらい熱く、波打つ想いが溢れた。この想いに名前があるとすれば、一体何なのだろうか。
 
そして左之助は悟った。こいつは、そういう奴なのだと思った。
(狼。―――)
こういう生き方しか出来ない。損な性格をしている。何処か、自分に似ていると思った。
 
自分を恨む者は斬って捨てるほどいる。
実際に藤田五郎と名を改め明治を生きたこの男は、晩年に至りその生涯を終えるまで数多くの奇襲、暗殺の危機にあったという。
最も有力とされているのが御陵衛士の生き残りか、その家系にある者だとされているが、真相は定かではない。

「だから、いつ殺されてもいいってか」
「馬鹿を言うな。俺はまだ死ねない」

無論、命が惜しいのではない。生への執着など、とうの昔に捨てている。
その言葉の奥深くには、かつて錦の御旗の元に集い散っていった同士たちと共有していた、たった一つの信念だけがあった。

―――――――――――――――――――――――

こっから先は燃料切れっつーか、文字神がどっかにいっちまったっつーか…笑。でも楽しかったわ!でもコレの所為で絵を描く気力が消えてもうた。いずれ仕上げよう。
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